今、NHKの大河ドラマで渋沢栄一をモデルにした、
「晴天を衝け」が放映中です。
「晴天を衝け」が放映中です。
渋沢を高校生の頃に授業で聞いて、
とても興味を持って、
図書館にあった、渋沢栄一の著書である、
「論語と算盤」という本を読んだのですが、
文体が古くとても分かりづらかった印象があり、
その当時は挫折したのですが、最近、現代語訳版というのを、
発見して、読んでみました。
とても興味を持って、
図書館にあった、渋沢栄一の著書である、
「論語と算盤」という本を読んだのですが、
文体が古くとても分かりづらかった印象があり、
その当時は挫折したのですが、最近、現代語訳版というのを、
発見して、読んでみました。
本当にざっと内容を要約すると、渋沢栄一は、
生涯で500以上の会社の設立や運営に携わり、
日本資本主義の父と呼ばています。
「論語と算盤」は、大正5年に書かれていて、
会社(経営者)は、論語(道徳)と算盤(利益)を両立させないと、
永続的に繁栄することができない。というのが主旨です。
生涯で500以上の会社の設立や運営に携わり、
日本資本主義の父と呼ばています。
「論語と算盤」は、大正5年に書かれていて、
会社(経営者)は、論語(道徳)と算盤(利益)を両立させないと、
永続的に繁栄することができない。というのが主旨です。
もちろん、それ以外にも会社の在り方だけではなく、
人としての在り方や、国としての在り方など、
とても密度の濃い内容でしたので時間がある方はぜひ一読を。
読んでみて思ったことは、「論語と算盤」が世に出て100年以上たって、
その内容が正しかった事が証明されてきた気がします。
その内容が正しかった事が証明されてきた気がします。
企業や国が利益優先に走ってきた弊害として、
さまざまな問題が噴出して世界はかつてないほどの危機を迎えています。
たとえば、地球温暖化や、食糧危機、貧困、自然破壊、戦争等。
さまざまな問題が噴出して世界はかつてないほどの危機を迎えています。
たとえば、地球温暖化や、食糧危機、貧困、自然破壊、戦争等。
こういった問題を世界が一つになって解決するための目標指標として、
SDGs(持続可能な開発目標)が国連で採択されました。
SDGs(持続可能な開発目標)が国連で採択されました。
そして近年、SDGsの目標達成に貢献することが、
企業自体の持続性にも大きくかかわってくるということで、
環境(E)や、社会(S)、ガバナンス(G)を意識して企業活動を
行う企業が増えてきています。
企業自体の持続性にも大きくかかわってくるということで、
環境(E)や、社会(S)、ガバナンス(G)を意識して企業活動を
行う企業が増えてきています。
投資家も同じく、ESG企業に対して積極的に投資を行う傾向が、
どんどん強まっていて、利益を多く出している企業でも、
ESG目線で、例えば環境に配慮できていない等の企業は、
投資対象から外されている現状です。
どんどん強まっていて、利益を多く出している企業でも、
ESG目線で、例えば環境に配慮できていない等の企業は、
投資対象から外されている現状です。
それらの現状は、私たち消費者が値段や品質だけでなく、
環境問題や社会問題に取り組んでいる企業かどうかを
選択基準として、商品を購入している事が大きな要因です。
環境問題や社会問題に取り組んでいる企業かどうかを
選択基準として、商品を購入している事が大きな要因です。
それだけ環境問題や社会問題が深刻化して、
待ったなしの状態になっているという危機感からでしょうけど、
とても素晴らしい傾向だと思います。
もちろん、私も賛同していきたいと思っています。
待ったなしの状態になっているという危機感からでしょうけど、
とても素晴らしい傾向だと思います。
もちろん、私も賛同していきたいと思っています。
最後に「論語と算盤」で一番気に入った文章を引用したいと思います。
本当に人を評価しようと思うならば、
その富や地位、名誉のもととなった
「成功か失敗か」という結果を二の次にし、
よくその人が社会のために尽くそうとした精神と効果とによって、
行われるべきものなのだ。
その富や地位、名誉のもととなった
「成功か失敗か」という結果を二の次にし、
よくその人が社会のために尽くそうとした精神と効果とによって、
行われるべきものなのだ。
成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、
正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、
成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる
正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、
成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる
成功など、人として為すべきことを果たした結果、
生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくないのである。
生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくないのである。